行動を共にすると相手に好感を抱く不思議

昼休みやアフターファイブに一緒によく食事したり飲みに行ったりする人たちの顔を思い浮べてみよう。かなり好感がもてる人たちが多いはずである。中には同僚だから仕方なく一緒に出かけること、か多いけれども、価値観がまったく違うので好意より反発を感じているという相手もいるだろうが、「根は悪い奴じゃないのだろうが」くらいの好意はもてるのではないか。

行動をともにする者に好感を抱く者が多いのは、好感をもっているからこそ一緒に食事したり遊びに行ったりするのだから当たり前のこと、行動をともにすることで好きになるのではなく、その逆ではないかという意見もあろう。もちろん、そういった面が強いのは事実である。だが、その逆の面もあるのである。

こんな心理実験がある。この後に共同作業をしてもらう相手のプロフィールがあるとして、ある人物のものの見方・考え方に関するデータを見せ、その人物に対する印象を問う。別の被験者たちは、特に会うことのない人物としてある人物のプロフィールを見せられ、その人物の印象を答える。この実験により、同じプロフィールであっても、この後に一緒に作業をする相手であると思い込まされた場合の方が、その人物の印象は肯定的なものとなることが示された。これから一緒に作業をすると思うだけで好意が生じたのである。

さきほどの常識的見解のように、好意をもっているから一緒に活動するというのが一般的である。したがって、好意をもたない者と一緒に行動するのは気持ちよいものではないはずである。「好意をもつ人と一緒に行動する」という文は頭の中にすっきり収まるが、「好きでない人と一緒に行動する」という文はどうも収まりが悪い。人間は矛盾を含む文を頭の中に刻んでおくのを嫌う。そこで、「一緒に行動する」という部分が書き込まれると、その前の部分はできるだけ「好きでない人」でなく「好意を感じる人」と書きたいという気持ちが無意識のうちに働く。

その結果、一緒に行動する人、あるいは一緒に行動すると予想される人に対する好意が生じるというわけである。同じ部署の人物同士のまとまりをつけるにも、ペアを組ませて仕事させたり、グループ作業をさせるのが有効といえる。どんな人物でも、好ましい面だけでなく、ちょっとどうかなと思ってしまう好ましくない面ももっているものである。一緒に行動しなければならないと思うだけで、相手の中の好ましい面に着目する心の構えができあがるのである。

— posted by 有働 at 01:37 am