現代に大いに求められる「聞き役」

現代は饒舌の時代である。女は控えめがいい、男は黙っているもの、と控えめや沈黙が重んじられた時代と違って、今はしっかりと自己主張するのがよいとされている。女性のおしゃべりというのは昔からあったが、男性も軽やかに言葉遊びを楽しむようになった。みんなが饒舌になると、にぎやかで楽しい光景があふれてくる。それはそれでよいのだが、何か満たされない感じがどこかに残る。

昼間の喫茶店をのぞいても、夜の居酒屋やパブをのぞいても、老若男女よくしゃべる。すさまじい喧騒である。特に、夜の酒の場ともなると、よほど大きな声でないと会話が成立しない。元気にはしゃいだり、陽気にからかい合ったり、カラオケを楽しんだり。昼間の職場のストレスを一気に吹き飛ばす勢いがある。

そこに足りないものはといえば、心からの対話ではないか。その場を楽しいものへと盛り上げることばかりをみんなが意識する。最近体験したおかしな出来事やちょっとした笑い話、共通の知人のうわさ話などをおもしろおかしく披露したり、ジョークをとばすことはできる。

だが、ふと胸をよぎる孤独や虚しさ、人生の意味や現在の自分の生活に関する疑問や悩み、そんなものをロに出すにはよほどの勇気がいる。勇気を出して内面的な話を持ち出したところで、「ドライ」のご言で片づけられたり、笑い話のネタにされたり、何を場違いなことを言うのだろう、と言いたげな視線で無視されたりということになりがちである。

今や朕病の時代といった観がある。深刻ぶるのは流行らない。軽いノリで楽しくいこう。そうした雰囲気ゆえに、孤独や虚しさ、人生の意味に関する疑問や悩みといった、みんなと一緒の場に持ち出しにくい深刻で暗めの思いが、胸の中に押し込められたままとなる。

こんな時代にこそ求められるのが、静かに胸のうちを吐露するのに付き合ってくれる相手である。おもしろくない話であっても、自分とは境遇や感受性が違い過ぎて共感できないというような話であっても、一切の批評抜きに、無条件に耳を傾けてくれる相手である。これはまさにカウンセラーの役割である。

同業者の首を絞めるようで申し訳ないが、職業人に頼らずに友人同士でこうした役割を必要に応じて分担するのが望ましい。にぎやかな時代だからこそ、静かに耳を傾けてくれる聞き手を誰もが密かに求めているのである。まずは、仲よく騒いでいる仲間にとってのよい聞き手となるよう意識してみよう。きっと相手もよい聞き手になってくれるであろう。

— posted by 有働 at 01:14 am